sione 佐賀・有田:制作現場から | Springshow - 河原尚子

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sioneが出来るまで

佐賀・有田:制作現場から

higanbana02.jpg佐賀県西端の町、もうあと20分も走れば長崎県に入る所に、西松浦郡有田町がある。そこまでは、京都から電車を乗り継いで約5時間かかる。
まず、京都より新幹線で博多まで。そこから、JR特急みどり・ハウステンボス号に乗り換え有田まで1時間40分。電車が博多を出発すると、まもなく車窓からの景色が変わる。
視界の緑の領域が、ぐっと増す。そして、空が広くなる。

私は20代の頃に、陶芸の修行の為、佐賀に2年ほど住んでいた。
博多に付いてすぐに聞こえてくる九州の訛りが、懐かしい。佐賀弁は九州の中でも特殊な言葉が多く、喧嘩をしているかのような強いイントネーションで話す。が、たいていの場合、日常会話だったりする。

「よかよか」と聞こえてきたら、自分の体に流れる時間のねじを少しだけ緩めるサイン。
その街にはその街の時間の流れがあると思う。
ビジネスと言えど、その場所にあった時間の流れで会話しないと、うまくいかない気がする。

型師

型での成形の場合、原型をつくり石膏型を作成することから始まる。
有田ではずっと分業の形で作品ができあがったいるので、型をつくる専門の職人がいる。
写真は、sioneのタンブラーの型。
型を制作する手順は、原型をまず石膏でつくり、「型」の為の「型(捨て型)」を作成する。実際に使用する型ができるまで、長い道のりである。
同じ鋳込み型をどのくらいの数量造るかは、制作する器のロット数によって変わる。

型師といえども、回転に慣れるのは基本中の基本。特に型を造る時は、ロクロよりも精度の高い仕事が要求される。長い棒を使い、カンナを固定しながらの削りの作業は、とても神経を使う作業だ。
もともと、有田の「型職人」は、彫刻の作品を制作している芸術家が彫刻のスキルをつかって、生業として型を制作することが多かったと言う。型は一度つくると、少なくても100回近くつかえる。
「毎回違った物がつくれるのがたのしい」と笑う橋村製型所の型師。
たしかに芸術肌なのかもしれないと思った。
工房に差し込む光が、とても綺麗だった。

ss_kata_001.jpgsioneタンブラーの型
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素地屋

型ができれば、鋳込みによって成形をする「素地屋」に運ばれる。
sioneの器は、形によって「排泥鋳込み」と「圧力鋳込み」両方の技術をつかっている。排泥鋳込みは、磁土を泥状にしたものを石膏型に流し込み、しばらく置いて泥を流す技法である。
石膏型が水を吸い、型に付いた土の厚みが器の厚みになるという技法であり、夏、冬、泥漿の固さによって、置く時間が変わってくる。

木村氏は有田でも若い職人の部類で、工房内は家族経営の温かさと若い職人の活気に満ちていた。
家族経営の「あうんの呼吸」は見ていてとても気持ちがいい。型からはみ出た泥をへらで切って厚みを確かめ、泥漿を流すタイミングをはかっていた。型から抜く時は、エアを裏穴から吹きこみ素地を浮かせる。横ではおばさま達がせっせとバリをとって、表面を滑らかに整えている。分業ならではの手際の良さを感じた。
気候のいい日は、桟板に乗せた素地を外に放り出して乾燥させる。
有田の田んぼのあぜ道を車で走っていると、至る所でそんな光景をみることができる。

ss_kiji_028.jpg鋳込み型
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ろくろ師

陶芸ときくと、真っ先に思い浮かべるのは「ロクロ」ではないだろうか。ロクロ成形は、元々、量産する為の道具である。遠心力をつかって、同心円状の品物をつくるのに適している。ここでも基本中の基本は、回転になれること。また磁器と陶器ではロクロの挽き方が違う。磁器の場合は、土の特性上水がまわりやすく、ヘタリやすいのでより繊細な感覚が必要である。また、基本的に削りで形を整える。
一方、陶器の場合は指すじなどの手あとを残し、削りは高台際のみとする事が多い。

土井下氏は、昔、東京で映像制作の仕事をしていた。30歳になり有田に戻ってから焼き物の道に入った。今では、有田でかなり信頼の置けるろくろ師である。工房は白い壁に、鮮やかな緑のドアが付いていて、すぐそばに地中海でも有りそうな雰囲気だ。中に入ると道具類が綺麗に整理整頓されている。
綺麗な道具をみると、技術の高い職人の作業場だと感じる。
余談になるが、普通ろくろを挽く時、回転に合わせて知らず知らずの間に首を振っている事が多い。土井下氏は師匠より「首を振らない事」を作陶の姿勢として教わった。ロクロ作業中の姿勢が美しく、呼吸が静かなのがとても印象的だった。

ss_rokuro_117.jpgロクロ工房
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窯元(フジマキ製陶)

藤巻製陶は、遠くからでもすぐに見つけられる。なぜなら敷地内に「フジマキ」と書かれた巨大な煙突が立っているからだ。しかも、普通の煙突は角柱形をしているが、藤巻の煙突は円柱形をしている。昔の人のこだわりが感じられるこの煙突は、今や有田では藤巻でしか見る事ができない。藤巻製陶は11代続く窯元だ。sioneの器はこの窯元で焼成、梱包される。
昔は割烹食器が主流だったこの有田も、今は一般食器が中心で、単価も下がりつつある。でも、細部の仕上げのクオリティだけは落とす事はできない。フジマキはその部分をちゃんと理解してくれている。細部に宿る美を見てくれているお客様が絶対にいるからだ。

藤本氏は、かつて京都の陶磁器訓練校に通っていた。私とはその時に出会い、そこからのつながりである。氏はいつも、代を継ぐという厳しい状況に立ち向かうエネルギーに満ちている。
「有田でも製品の方向性は二極化している。100円均一のような大量生産物か作家物。器はなくたって生きて行ける。そんな時代に自分の器を買ってくれること、そこに喜びがある。」と話してくれた。
その人々のスタンスによって産業に関わるモチベーションや想いも違う中で、真摯に自分の未来を見据えて戦っている様子は、いつも清々しく感じる。

ss_fujimaki_067.jpg円柱形の煙突
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転写師

転写紙貼りは1つの「職人技」である。転写(プリント)と聞くと、巨大な機械の力をつかって、大量に生産されている様に聞こえるが、sioneの器の転写紙は、職人が一枚一枚手作業で貼っている。転写紙は、水に濡らすと台紙が剥離するので、黄色いカバーコートと共にデザインされた釉薬を素地に貼付ける。その際に一番注意しないといけない事は、空気を抜く事である。器のアールに添わせて、少しずつ、丹念に空気を抜く。万が一空気が入っていると、絵付け部分が素地に定着しないので、これまでの成形などの作業行程が全て無駄になってしまうという、とても緊張感のあるパートである。
だから私は転写という行程を「職人技」といいたい。

金ヶ江氏は名前を「陶一」という。
一番たのしい仕事は、と尋ねると「割烹食器のあでやかなデザインの転写紙を貼るとき」と教えてくれた。空気を抜く際のコツを聞くと、手に持っているビニール袋のハギレを見せて、「いろいろ試したけれど、これが一番いい」と照れ笑いした。
ありふれたものを道具として見いだす視点。心から見習いたいと思った。

ss_tensya_001.jpg転写工房
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訪問を終えて

「職人」という言葉が好きだ。
職人肌の父に育てられたからだろうか。
私の実家でも「職人」とは一番の褒め言葉だった。

sioneの器を造る佐賀の職人たちは、シャイでとても気の優しい人が多い。
そして、仕事に誇りをもっている。
その1つ1つの行程に、自分自身の歴史を込めてくれている様に思う。
このようにして、大事に造られたsioneの器が、
どこかで誰かを笑顔のそばにいることを想いながら、
今後もより良い器を造っていきたいと、心に誓った。

2009.10 河原 尚子

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